2006年 07月 31日
硝子の狐 全 |
『硝子の狐』
硝子のための103の断章 ─風間 祥─
<濡れているのは私 ガラス越しではない雨の秋>
瑠璃、青玉、翡翠、水晶、硝子体 ルネ・ラリックの硝子の小壜
ぎやまんに金魚浮かべて芥子ゆれて、阿片の誘う夢幻極楽
室内の硝子の床の下見れば錦の鯉も泳ぐ悪趣味
この空の見えない玻璃を突き抜けてあなたの鳥が飛んでゆく秋
あの夏の焦熱地獄一本の硝子の壜に立つきのこ雲
硝子溶け鉄筋が溶け人が溶け街は焦熱地獄 向日葵
向日葵は焦げ傾きて日静か頭上に割れるガラスの太陽
断頭台そのギロチンの露と消えるガラスのように繊い血脈
血は血にて贖うものを血の樽を硝子一個に換えて携う
血の色の葡萄酒色の硝子壷 一族全て死に絶えながら
こんなにもきれいな虹を夏空の東の空の七色硝子
真実は誰にも見えず明かされずガラスの兎耳垂れている
太陽を憎んだサティ窓硝子つたう雨だけ愛したサティ
ジムノペディ、グノシェンヌ、三つの夜想曲 硝子越しに見る裏庭の雨
夜がきて電車の窓に見えるのはあの人が住む遠い街の灯
城の奥、鏡の部屋に使われた硝子職人生き埋めの森
死が染めているのだろうか夢硝子 黄昏れてゆく窓の夕映え
薔薇・菫・オリーブ・檸檬・黄昏が硝子に射した夏の花束
硝子窓つたう水滴、雨のしずく窓に映っている灯と私
この窓も窓の硝子もカーテンも古き佳き日の忘れ物でしょう
終電車レール軋ませ走るから疲れた男もいる硝子窓
夜明け前、その茄子紺の空の下 中村豆腐の硝子戸が開く
その人に夕べの愁いあるらしき うすむらさきの硝子の埃
見ていたわ焚き火が消えたあの庭と硝子の破片のような夕映え
高熱にうなされながら死んだのねステンドグラスの百合と黒薔薇
熱い熱い炎える夕陽の紅の運河の街の硝子工房
それはあのガラスの靴のお話の燃えないゴミになった結末
クセナキス ホロス、エヴァリアリ、ノモス・ガンマ曇り硝子のような音楽
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<雪の夜にランタン赤き窓ありて 若き主人の古美術の店>
退屈は夢見る硝子 ベネチアの、ローマの酒盃に注ぐ葡萄酒
その街に大きな硝子窓があり 通りを歩く人と樹が見え
街路樹が桜並木の葉が触れる大きな硝子窓のレストランがあり
学生も子供を連れたお母さんものんびり歩いている硝子窓の向こう
食卓の硝子の小壜 紫の露草に似た花が一輪
薄藍色の煙草の煙微かにゆれ燐寸は消える硝子の灰皿
飼猫はそこに居たはずだったのに 硝子の函が骨壷となる
透き通る仄かに点るペルシアンブルーのような瞳、硝子の
烏羽玉の夢かと思う夢なれと冬の硝子のような愛恋
「聖なる樹、ゲルニカの樹よ 永遠に」 硝子のように砕ける地球
我はもや花のもとにて春死なん 満月、湖(うみ)に硝子のように
それからは死がすべてとなったから硝子戸を開け出てゆくゴースト
さびしくて心砕けて散る硝子うすくれないの焼き場の煙
野火炎えて心焼かれてさまよって何処の土に帰る 玻璃割れ
武蔵野は昔、飛火野 飛火野の野焼きしてみよ 硝子の狐
蓬莱の山に鶴立ち鶴帰る鶴来という町の大通りの硝子屋
破綻する破水破裂破砕破船破調 硝子の白鳥
黄昏の野をゆく水の逃げ水の硝子のようなきらめきの秋
その人のピアノの中のアラジンの魔法のランプ・硝子の小舟
海があるピアノの中に海がある硝子の小舟・水晶の舟
森には樹、海には魚 この街のガラスのような薄いニンゲン
焼けた砂、海辺の町にゆったりと時は流れて八月六日の硝子の太陽
ああ、 とうとう思考回路は遮断され脳は硝子のように溶けるよ
今宵八時と限られてみればまた書く玻璃の歌 あはれ涼しき死もあるらむに
硝子のこと昔は瑠璃と言ったのね 瑠璃、玻璃、硝子 水の透明
影法師 影踏み遊び硝子戸に影が重なる死の影遊び
ピアノ聴くけだるき午后の瑠璃色のサティを聴けば夏の雪降る
あてもなく無益に時を徒に玻璃、瑠璃、硝子 九月の驟雨
鸚鵡にはおやすみなさいを教えよう硝子の小壜が涙壷とも
月蝕のほおずき姉の産褥の枕辺に硝子のトレー
胎内にあかるき光りともす子の指を映して液晶硝子
夏蝉は遠く遥かに死絶えて私を待つ瑠璃の一族
蛇が巻く後ろの森の夜の月 硝子のような眼の梟よ
飛騨高山、四国内子町の和蝋燭 古い硝子戸開ければ燈る
秋の旅 古き湯宿の硝子窓、瑠璃紺青の海と白波
「出部屋」には産婦が抱く子が眠る硝子を染める海の夕焼け
海が凪ぎ月光があり炎えつきた硝子成分のような心音
いいえまだ人生のプリズムのその一面しか知らなかったの
太陽を私は集めているのです この集光器の午后の太陽
悪徳の旗が靡いておりました背徳もまた硝子の仮面に
熱病に曇る瞳に黒天使 薔薇をかざして硝子のランプ
火の髪の火の飲食(おんじき)の弱法師 夏来ればニンゲンを返せと
もの憂くて倦んで疲れて死にたくて心の奥の硝子砕けて
野火もえてまた野火もえて身は焼けて瑠璃の仮面の砕けて落ちて
天翔ける天使が私に言いました硝子をお前に与える野を焼け
詩と音楽、珍味佳肴につきものの二つも盛って硝子の器
ボローニャの腸詰、マラガの干し葡萄、海老も冷たく硝子の大皿
難題は遡っても玻璃に映る残照のような当主の浪費
山海の珍味蒐めて還暦の馳走配って血潮の玻璃皿
露西亜からは硝子の壷とサモワール思い出だけを帰国の友に
火のように淋しがってるあなたには硝子の猫や白梟を
水槽にメダカ泳げば透明な硝子に水藻ゆれて夏来る
発作以来人が変ったようになり硝子の水盤には睡蓮を
憂愁・苦悩・絶望・悲惨・呪詛・傲慢あなたが見ていたのは万華鏡
一冊の書物のように傍に置く 氷のような硝子の文鎮
何という美しさだろう硝子より星より水は涼しく湧いて
街道の中心にして馬留めて清水を汲んだ硝子井の井戸
カナリヤは死んでしまった坑道の空気、硝子のように吸い込み
この水を空の真中に汲み上げる硝子のような刻があること
その恋も額の熱も奪うためガラスに氷、水には花を
舟歌ははるかに川を下るから硝子の舟も泥の小舟も
終戦の直後には居た傷病兵 傷痍軍人義眼の兵士
笛吹いて少年少女鼓笛隊ガラスの仮面がパレードをする
焼かれたる金の野山の明烏 再び告げよ瑠璃の王国
遠く来て呼べど答えず谺せず玻璃の湖面に白鳥一羽
沈丁花、梔子、白きえごの花 花影ゆれる瑠璃色の日没
見殺しの父と母との杜子春の銀の硝子に似る蜘蛛の糸
遠火事を見ている夜の硝子窓 燃えればいいと誰かが言った
炎上をしている三島屋火薬店 冬の花火が硝子を揺らす
火の壷も炎の硝子瓶もある ただ着火する動機薄弱
青空の硝子のような輝きの真中を進む黒の一隊
卑弥呼病めば卑弥呼の国もまた病んで瑠璃色の海もまた病む
今日もまた夢を見ている夢見ればあなたに逢える 硝子の狐
by sho3id
| 2006-07-31 01:52
| 短歌